ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2015-11-28

大人ディスレクシアのチェックテスト[ベータ版]

隠れディスレクシア」で当ブログではおなじみのエイデ博士から、
「大人用のディスレクシア・チェックテストのベータ版を作ったので、
試してほしい」とのニュースレターが来ました。

両博士は今年の夏、このチェックテストの元になる大規模なネット調査を行い
7000人近くのディスレクシアや非ディスレクシアの回答を得て、
それをもとに以下の項目に絞り込んだようです。

「和訳して、日本のディスレクシアやその周囲の人にも回答してもらうこともできますよ?!
と、先方に聞いてみたところ、
「ありがとう、日本語が読めないので、今はまだいいわ。
でも近いうちにお願いするかも」と言われました。
(#これを機に3月にお預かりした質問を転送することにも成功!(遅い!!)
#いましばらくお待ち下さい!!)


とりあえず、「大人ディスレクシアのチェックテスト、ベータ版」
と題して訳してみました。
全部で44項目あります。
何点ならディスレクシアかは、これから決めるようなので、明記できませんが、
以下に「非常にあてはまる」なら、ディスレクシア度が高いのでしょう。

昨夜、「ディスレクシアのチェックテスト」に
素晴らしいコメント→を下さった方は、
驚くほど、下と同じ内容を語られていると思います。
[#コメントへのお返事2件、少々お待ち下さい]

~ ~ ~ ~

この調査の目的は、大人ディスレクシアを判別する簡単で手軽なチェックテストを作成することにあります。このチェックテストが従来の大人用ディスレクシア・チェックテストと異なるのは、大人ディスレクシアの苦手な部分と得意な部分を洗い出す質問項目にあります。これまでの研究で、大人ディスレクシアの判別に役立つことが明らかになったものです。

18歳以上の方のためのチェックテストです。
・これはベータ版です。この結果をもとに、さらに質問項目を絞り込む予定です。
・回答に必要な時間は15分以下です。

1. 声に出して読むのは難しい。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


2. 本を1ページ読むのに、必要以上に時間がかかってしまう。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


3. 整理整頓や、時間の管理を、難しく感じる。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


4. 英語を始めてこの方、スペリングはずっと苦手だった。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


5. 申込書などに記入するのは、混乱するし難しい。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


6. 自分の言いたいことを探し出すのが、難しいことが多い。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


7. アルファベット順/50音順に何かを並べたり、アルファベット順/50音順に並んだものから何かを見つけ出したりするのは難しい。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


8. 読むのは簡単だし、速く読める。
ものによっては、とても速く読むことができるし、簡単に読める。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


9. 職場や学校でうまくやるには、工夫をしたり、ITの力を借りたり、各種対応を受けないといけないことが多い。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


10. 自分の考えを、書いて整理・表現するのは、難しいことが多い。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


11. 九九を覚えるのは難しかった。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


12. 新しい単語、長い単語、見慣れない単語を読むのは難しい。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


13. 領収書を書こうとすると、よく書き間違う。
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14. 読む時、字面が似ている単語(catcotspotstopなど)を見間違う。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


15. 読む時、「どこを読んでいるか分からなくなる」「単語や行を飛ばす」ことがよくある。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


16. 長い単語を言おうとする時、「音の順番を正しく言う」のによく苦労する(例:「とうもろこし」が「とうもころし」になる)。
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17. 読む時は、段落のはじめから読み直さないと、意味が分からないことがよくある。
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18. 右と左が分からなくなることが、よくある。
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19. 電話でメモをとる時、間違えることがよくある。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


20. 言おうとしているのとは違う言葉を、ついうっかり言ってしまうことがよくある。または、ものの名前を間違って言ってしまうことがよくある(「あつい」と言うつもりで「さむい」と言うなど)
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


21. 電話をかけるとき、番号を間違って押してしまうことがよくある。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


22. いくつもの指示を、一度にまとめてされると、混乱してしまうことが多い。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


23. 人の名前をなかなか思い出せないことが、よくある。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


24.  頭の中に、何かのイメージを立体で描くことができる。そのイメージを、頭の中で自由にいじったり、いろんな角度から眺めたりできる。
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25. 何かの機械の中を頭の中でイメージできるし、その機械がはたらく仕組みもイメージできる。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


26. 家具やプラモデルなどを組み立てる時、自分はマニュアルは読まなくても大丈夫。説明の絵だけ見れば、どのように組み立てればいいかが分かる。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


27. 字で説明されるより、絵、図、流れ図で説明される方が分かりやすい。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


28. 青写真を"読む"のが非常に得意だ。(=図面をもとに、立体としての構造を頭の中にイメージするのが、非常に得意だ。)
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


29. ある問題があって、それをどう解決したらいいかを考えている時、頭の中で言葉はどちらかというと使っていない。(=視覚的なイメージや、視覚以外の感覚のイメージや、動きなどで考えている。)
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


30. 何かがない/抜けているのを、見抜くことがよくある。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


31. 細部(ディテール)を考えるより、全体像を把握する方が得意だ。
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32. 新しい分野の勉強をする時は、最初のうちは細かいことが気になって混乱する(「これはいったい重要なのか」と思ってしまう)。だが、ある所まで来ると、急にすべてが「かちっとはまる」ような感覚があり、全体像が見えるようになる。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


33. 何かを勉強する時は、最初はなかなか定着が進まないのだが、「なぜ自分はそれを勉強しなくてはいけないのか」が分かれば、覚えられるようになる。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


34. いろんなモノの、新しい用途(=本来の意図とは異なる使い方)を思いつくのが得意だ。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


35. 歴史上の出来事について考える時は、その出来事についての「言葉での説明」を思い出すというよりは、その出来事の「情景やイメージ」が見える。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


36. 「"木"や"車"とは何か、説明してほしい」と言われたら、まず木や車をたくさん思い浮かべるのが、自分のやり方。木や車の、言葉での抽象的な定義がいきなり頭の中に出てくることはない。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


37. 「学生時代に、暗記しようと必死に努力したこと」よりも、「たまたま経験したこと」の方が、よく覚えていることが多い気がする。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


38. 決まった形式にのっとった指導を受ける(=本を読む、講義を聞く、読んだり書いたりする宿題をする)よりも、実際に体験するほうが、自分にとってははるかに身につく。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


39. 何か問題を解決する時や、何かを決めたりしなければならない時、自分は論理立てて理詰めに考えるというよりも、「突然のひらめき・直観・予感」に頼るほうが多い。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


40. 周りから、「あなたの考え方は『線形的でない』(=順序立っていない、飛躍している)」とよく言われる。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


41. 「どうやってその答えにたどり着いたの?」と聞かれても、説明に困ることが多い。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


42. ・複雑やシステムを見るだけで、「それがどんな仕組みで動くのか」を、頭の中でシミュレーションする(または想像する)のが得意だ。
・「もし、そのシステムの条件や一部を変えたら、結果がどう変わるのか」をイメージするのが得意だ。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


43. 白昼夢(ぼうっとしている)時や、心が勝手にいろいろさまよっている時こそ、成果が出せる。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


44. 「自分が何を考えているか」を説明する時は、まずは自分が考えていることを言葉に"翻訳"しなければならない(=言葉にしようと思うまでは、あまり言葉では考えていない)。
非常にあてはまる あてはまる ややあてはまる あてはまらない


45. あなた自身について
確かにディスレクシアだ(正式な検査を受け、専門家からディスレクシアだと言われている)

おそらくディスレクシアだ(正式な検査を受けていないが、字以外の分野では能力があるのに、読み書きに限っては人並みにこなすのに人よりはるかに苦労したので、自分はディスレクシアだと思っている)

ディスレクシアかもしれない(ディスレクシアのいくつかの特徴にあてはまるが、正式に特定されたことはなく、自分がディスレクシアと言えるかどうか自信がない)

明らかに非ディスレクシア

項目の内容や訳について、ご意見があればお願いします~

2015-11-09

「ディスレクシアとイノベーションの会議報告」の翻訳

ああ。書きたいことがたまっているのですが奴隷仕事が…

リハビリに、Dyslexic Advantageのエイデ博士が毎年主催している
「第3回・ディスレクシアとイノベーションの会議」の報告を訳しました。
書いたのは、ダン・ピーターズというディスレクシアに詳しい心理学者です。

この会議は、成功したディスレクシアの人たちが集い、自分の仕事を紹介し、
それを通じて「ディスレクシア的な才能開花」とは何かを共有するものです。
行ってみたい~(笑)

以前、第1回の講演を訳しました

長い動画ですが、ディスレクシアの才能に関心のある方には本当にお勧めです。
(今、久しぶりに見返して、6分すぎから涙が止まらない(笑))
ディスレクシア的な才能発揮って、こういうことなんだ…と実感できます。

さて、以下の記事では、
アメリカの教育現場では最近、「ディスレクシア」という言葉を
あえて使わなくなっているという"退歩"についても、ちらっと書いてあります。
「海外のディスレクシア的状況は日本より30年進んでいる」と言われますが、
日本にその部分だけ先走って入ってくることのないよう祈ります…。

☆  ☆  ☆

今こそディスレクシア革命を!
The Dyslexic Advantage: Our Hidden Revolution
原文→

ニューアーク空港で搭乗を待ちながら「ディスレクシアの才能に関する第1回会議」で見聞きしたことをどうしても書きたいと思ってから、2年半の月日が流れた。
1回会議の目的は、Dyslexic Advantageで示された概念を探ることにあった。

当時、Dyslexic Advantageが示す考え方はまったく新しいものだった。
ディスレクシアは脳の仕組みが異なるがゆえに、人と違った仕事やタスクを得意とする。ディスレクシア脳はパターンを認識すること、つながりを生み出すこと、ユニークなデザインや構造物を作ること、そして、複雑な問題に新たな解決策を編み出すこと--そういったことを、普通の脳とはちがう方法で行うことができるのだ。

この会議は、私の何十年もの仕事人生で経験した数々の会議とは、まったく雰囲気を異にするものだった。

まず、講演で話す人――成功している起業家、ピューリッツァー賞を受賞した作家、アカデミー賞を受賞した映画監督、ハーバードやMITなどの科学者や研究者、そして聴衆のほとんどが、ディスレクシアだという点。
このため、会場内には受容と共感の、なんとも言葉にしがたい雰囲気に満ちていた。
ほとんどのディスレクシア(自分も含め)は、初めて我が家に帰ってきたような気分だった。
ある講演者の言葉を借りれば「私たちは、自分の種族についにめぐり会ったのだ」。


時は進んで2015年。私はいま、「ディスレクシアとイノベーション」と名称を変更した第3回の年次会議に参加し、西海岸に戻る飛行機の中でこれを書いている。主催はDyslexic Advantage(著者が設立したNPO)、後援はEmily Hall Tremaine基金。
今年のテーマは、学校、制度、職場、そしてイメージといった様々な場で、ディスレクシアがどれほど認知されているか、その現状を評価すること、そしてディスレクシアの一生の経験をよりよいものへと前進させるための戦略や行動計画を立てることだ。

この会議に初めて参加する人は、これまで同様、心と心が響き合い、人と人のつながりが出来ていく空気感に圧倒されたことだろう――
自分の種族に初めて出会う、あの感覚だ。
2回目3回目の人は、我が家に戻る気持ちだった。

ほとんどの参加者は、日程や時間、書くこと、人の名前を覚えること、耳からの大量の情報についていくこと…こうしたことに多少の不安を覚えるのをいつものこととして、日々を送っている。
でもここでは、リラックスしていられる。ディスレクシア同士で話をしたり、非ディスレクシアが「自分はマイノリティーのような気がする」と話しているのを聞くと、この会議中はディスレクシア文化が多数派なのだと改めて知る。

この会議の参加者のほとんどは、人の名前や部屋の番号を覚えられない。
しょっちゅう迷子になるし、書き間違いも言い間違いも多いし、言おうとしている言葉にたどりつけない。
この会議ではそういうことが起きると――これがよく起きるのだ――私たちは一緒に笑い、互いを受け入れ、認め合う。
私たちが通常経験すること――笑われ、からかわれ、恥ずかしい思いをすること――とはずいぶん違う。
現実世界では私たちは20%だ。ここでは80%。私たちの方が普通なのだ。

これまで同様、この会議では様々な分野から大きな成功を収めた、非常に独創的なディスレクシアの人たちが登壇し、議論のリード役を務めた。
ハーバードで訓練を受けたビジネス・ネゴシエーター、MITの研究者、クマの専門家(!)、コメディアン、詩人、ビジュアル/グラフィックデザイナーなど。
全員、自分の分野で新しい道をひらき、成功した人たちだ。

全員が、普通と違うやり方をしている。全員が、学校では苦労し、たび重なる失敗をし、ディスレクシアとそれに関係する弱点を(隠せる時は)隠し、そして逆境に耐えた、そんな経験の持ち主だ。

会議では「リスクをとること」が共通テーマの一つとなった。
「あまりに失敗が多いので、失敗に慣れてしまった。失うものなど何もなかった」
正しいやり方に失敗することはやがて、独創的な問題解決方法を編み出すこと、物事を人とは違った方法で取り組むというディスレクシアの長所を生かすこと、そして、失敗に慣れ、恐れないこと--につながった。

この会議で知ったのだが、シンガポールでは教員養成課程でディスレクシアを扱っているほか、ディスレクシア教育の国家プログラムが存在するそうだ。
すべての生徒が一人残らず、国の未来を担う貴重な宝であり、力を発揮しきれない生徒が一人もいてはならない、という考え方らしい。

訳注:シンガポール建国の父、リー・クアンユーがディスレクシアなこともあり、シンガポールはディスレクシア教育が盛んなようです。

また残念ながら確認できたのは、アメリカのディスレクシアの生徒をめぐる状況がほとんど進歩していないということだ。
グループディスカッションで、「ディスレクシアの長所が介入プログラムに取り入れられつつあるか」という問いが出たとき、「ない」という悲しい結論に至っただけでなく、ディスレクシアと特定された生徒に対しても、介入プログラムの基盤となる読みのRBI(research based intervention)が行われていないケースが多いらしいことも明らかとなった。

訳注:RBI:ざっくり言うと、アメリカ版の特別支援教育
さらにひどいことに、私が住むカリフォルニア州同様、多くの州では「ディスレクシア」という言葉を使わず(使ってはならず)、多くの親が教師から「ディスレクシアは今の時代はもう使わない言い方です」「ディスレクシアは今後は認められない」などと言われている


この世界は何百年にもわたり、ディスレクシア脳が変革を引き起こし、また娯楽を与えてきた。
そうした偉人の一覧は拡大するばかりだ。
声を上げ、「私のディスレクシアはこんな風に人生を形作った」と語るディスレクシアは増える一方だ――映画監督のスティーブン・スピルバーグ、NBA選手のコービー・ブライアント、マジック・ジョンソン、ジュエル・ロイド(女子NBA年間最優秀新人賞)、俳優のジョージ・クルーニー、ジェニファー・アニストン。
ビジネス界の女王バーバラ・コーコラン、FUBU創設者のデイモンド・ジョン。
ノーベル医学生理学賞を受賞したキャロル・グライダー、ケイシー・ドレナンMIT教授、マッカーサー賞受賞の海洋科学者、ミミ・ケールなど。
世界の人工物の七不思議のすべてはディスレクシアの建築家によって設計され(訳注:マチュピチュ、ローマのコロッセオ、万里の長城など。本当?!)、成功した起業家の3人に1人はディスレクシアで、MITではディスレクシアは「MIT病」と呼ばれる。
ここに規則性が見いだせないだろうか。つまり、著名人が続々とディスレクシアをカミングアウトし、自身のディスレクシアについて語り始めるなか、メディアはディスレクシアの認知度向上を後押ししようとしているのだ。

成功し、認められているなら、カミングアウトの敷居は低くなる。
だが苦しみ、失敗を続けている時には、それは難しい。
ディスレクシアという概念は少しずつ知られつつあるが、学校や職場に変化が起きているとは到底言いがたい。
ディスレクシア脳が貴重な資源だとはまだ認められていないし、ディスレクシアの子供も大人も、まだ隅に追いやられた存在だ。


世界には解決しなければならない複雑な問題がたくさんある。そして、ディスレクシア脳はこうした問題を解決するよう作られているとわたしは信じている。
この世界を維持し前進させるためには、ディスレクシアも非ディスレクシアも含め、全員の"脳力"を結集する必要がある。
シンガポールの経験が私たちに教えてくれるように、私たちの社会は生徒を一人たりとも落ちこぼれさせる余裕などない。一人残らず、ポテンシャルを開花させる必要があるのだ。
今こそ、ディスレクシア革命を起こさなければならない。