ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2014-06-24

実は私は算数障害(ディスカリキュリア)だが社会に適応しているらしい/「算数障害の5つのタイプ」

学習障害にはディスレクシアのほかにも、「ディスカリキュリア」というものがあります。
「カリキュリア」はcalculate(計算する)から来ていて、「ディスカリキュリア」は「計算障害」または「算数障害」と訳されます。
LD学会で聞いた話では、ディスレクシアの6割は算数障害も持っているとも言われる、とのことでした。
ディスレクシア以上に、まだまだ未解明の分野だそうです。


当ブログでは、算数指導について、これまで扱ってきませんでした。
それは・・・子が4年生になる頃には、すでに私の算数の能力では教えられなくなったからです。。

私は筋金入りの数学音痴です。
小5でY谷O塚日曜テストの「大きな数」の回で、完答したにもかかわらず0点を取ったあたりが自覚の始まりでした。
中高でも大学入試でも、一貫して数学(と物理)が壊滅的に苦手でした。
模試で数学の偏差値が30を割ったこともあります。
共通一次の数学は90点(200点満点)、2次試験の数学は0点(1問だけ完答したが回収する時に周りと全然違う図を書いたのが見えて0点確定)、なぜか入ったのが経済学部で授業が全くちんぷんかんぷん(経済学は数学が分からないと無理です)、など、学生時代はいろんなことがありました。

子供のドリルの答え合わせをして「0の数が違う!」と叱った後、違うのは自分だと発覚するorzことが続き、子供の算数を見るのはやめました。
(ちなみに子は、算数全般には苦手意識はありません。書き間違いや計算ミスは多々ありますし、図形が苦手などいろいろありますが)

☆  ☆  ☆


「算数障害は5タイプに分類できる」というイギリスの記事を訳しました。
原文は→こちら

「これを障害と言っていいなら、私は算数障害かも?!」と思いました。。


ディスカリキュリア(算数障害)の5つのタイプ
Tony Attwood、2013年7月1日

タイプ1:基本的な四則演算以上のことが理解出来ない
タイプ2:上に同じだが、戦略を編みだしている
タイプ3:時間やシークエンスの概念に乏しい
タイプ4:数の覚え間違いが多い
タイプ5:数と現実世界との関係性が理解出来ない


2012年、8歳から18歳の300人がオンラインで受けた算数障害検査の結果を分析し、いくつかのパターンの導出を試みた。算数障害をタイプ別に分類する試みの一環である。

算数障害は、算数の計算の理解と実行ができない障害で、その原因は非常に根が深い。「ディスカリキュリア」という言葉は通常、遺伝的に何かが機能しないことが原因で、算数障害が発生する人のことだけを指す。このため、ディスカリキュリアはディスレクシアの算数バージョンと見なすことも可能だ。ディスレクシアの人が読めるようになるには、一般の教室での授業とは大きく異なる方法を活用することが少なくないが、これと同じように、ディスカリキュリアの人も特別な手助けが必要だ。


5タイプの算数障害
ディスカリキュリア・センターが行った分析の結果、算数障害には5種類あると提案したい。これらは初めて紹介するものだ:

タイプ 1 
「自分は算数に強い苦手意識がある」と言う。同学年の90%が解けるような、基本的な算数の問題がなかなか解けない。

この人たちは、算数障害に加えて、算数障害を克服するためのサポートをまったく受けていないか、間違った種類のサポートを受けてきたため、初歩的な算数の問題の戦略さえも身についていない。障害と支援不足のダブルパンチにより苦手意識が定着し、それによって困難がさらに大きくなる。「自分は算数ができない」という気持ちが強く、矯正指導を妨げる。

四則演算(+-×÷)は理解するかもしれないが、より進んだ概念(分数など)は、まったく意味をなさない。

こうした人たちの多くは「自分は意味不明な世界に生きている、自分はこの世界ではよそ者だ」と感じるため、不安と緊張が高まりがちである。「周りの人たちは皆、算数を簡単に理解できるようだが、自分はどうしても理解出来ない。いくら頑張って教えてもらっても」(ただし従来型の教え方でだが)。


タイプ 2
タイプ1と同じように、算数への苦手意識は強いが、算数の基本を理解し対処するための戦略は編み出しているGSCEでグレードC(訳注:イメージ的には日本の中学卒業くらいに相当か)をパスできないかもしれないが、日常生活を送れる程度の算数の知識は持ち合わせている。電卓を使うことはできるし、算数の基本的な仕組みも理解している。

だが、算数の計算を行うとなると、同じ年齢と知的水準の人より23倍の時間がかかる。このため、自分は算数に関しては人と“違うという自覚が常にある。

このため、タイプ1同様、自分の算数のできなさを深く恥じ、不安を抱いている。だがタイプ1とは違うのは、実際よりもはるかに強く苦手意識を抱えていることが少なくない点だ。なぜなら、タイプ2の人は、自分が算数の基本的な問題でも非常に解くのが遅いと、重々承知しているからである。
 

タイプ 3
時間の概念を理解し扱うことに、根本的な困難を抱えている。タイプ12と併発する場合もあるが、タイプ12との違いは「時間についての問題」を抱えているかどうかという点だ。

これは「24時間時計は訳が分からない」という、多くの算数障害の人が打ち明ける問題にとどまらず、もっと奥の深い問題だ。タイプ3の人にとっては、時間の概念がとにかく意味を成さない。「ミレニアム(1000年間)」がどのくらいの長さかを把握できないのと同じように、「5分間」がどのくらいの長さなのか、想像することも、推定することもできないのである。

タイプ3の人は一様に、短期記憶/長期記憶の問題、そしてシークエンシング(物事の順番)に困難を抱えている。多いのが、一連の出来事(浴槽にお湯を入れるなど)を順序立てて説明するのが難しいケースだ。出来事の順番を間違えるか、一連の出来事の中から重要なポイントをいくつか抜かしてしまう。このタイプの人には、間違いを指摘してから同じことをもう一度やってもらっても、まず改善しない。

タイプ 3は他の4タイプよりもはるかに珍しいが、日常生活で非常に大きな問題に常に直面していることが少なくない。
 

タイプ 4
厳密な意味では算数障害ではないが、算数障害の症状の多くを示す人。その理由は、短期記憶と長期記憶に問題を抱えているのに加え、算数に価値を置かない家庭に育ち、算数を学びたいという意欲が湧かなかったからである。

多くの場合、学校では記憶に問題があると気づいてもらっていないし、その上「算数なんてどうでもいい」と家で言われてきた可能性が高い。親から「自分も学校では算数が苦手だったけど、それが害になったことは一度もない」といった内容のことを言われていたりする。

こうした言葉は善意から出ているのだろうが、子供にとっては多くの場合、算数の困難を克服しようとするその後の意欲の芽を摘んでしまう。

タイプ 4の生徒は、数が並んだシークエンス(電話番号など)が覚えられないことで判別できる。これは数列を短期記憶から長期記憶に移動するのに困難を抱えているからだ。数やシークエンスを忘れてしまうため、「まず一方の計算を行い、その結果を記憶に留めた状態でもう一方の計算を行ってから、両者を操作する」といった計算には、非常に苦労する。
 


タイプ 5
数と現実世界とつながりがまったく理解できない人。ある意味、ほとんどの人が大なり小なりそうなのだ……そもそも「6」とは何なのか(6頭のヒツジが何かは分かるが、「6」そのものは何なのか)。だがたいていの人は、そのことを一旦横に置き、「6」という不思議な概念を操作する。
だがそれがどうしてもできない、あるいはしようとしない人がいる。数とそれが意味するところは何かについて、ずっと疑問を抱き続けるのだ。

このタイプの人は特別な指導を受ければ算数の導入はできるが、必ずつまづくのが「分数」だ----1/2」や「1/4」の概念を理解できないからである。分数の足し算は分かるようになっても、あくまでも機械的なもので、自分が暮らす世界にとって何の意味も持っていない。

このタイプの人たちに「¼ + ¼ + ¼ + ¼」を解いてもらうと「4/4」が答えだと言うかもしれないし、約分というルールも知っていて「1」と答えるかもしれない。だがそれは機械的なプロセスであり、「1枚の紙を4分の1ずつに切った後、それをつなぎ合わせる」様子を直ちに想像することはできない。端的に言うと、4分の14つ足し合わせることが、一般の人と同じような意味を持たないのだ。



これらの分析はまだ決定版ではないものの、ディスカリキュリアの包括的分析に向けた第一歩として有用だと信じている。ディスカリキュリアの理解は、まだ始まったばかりだ。


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私はタイプ2と4の気がします。
言われてみれば、戦略はいろいろ持ってます。


1)本の索引でページの数を見て、そのページを開こうとすると、ほぼ必ず間違った数を記憶している。
例えば、さくいんでは「472ページ」と書いてあれば、427ページや274ページを開こうとしてしまいます。
電話番号(fax番号)もよく押し間違います。

→「よん・なな・に」とずっと連呼していると間違えないと発見(笑)。以来そうしています。


2)昔から、計算ミスや転写ミスが異常に多かった。
式変形で、「+」を次の行でなぜか「-」と書いてしまうのはしょっちゅう。

「2/3」を「3分の2」と言えるようになったのは30過ぎなのですが
(1つのものを3分割したうちの2個だとイメージできてるのですが。でも言い間違える)
これがイメージしにくい数字(ルートとか虚数)になると、分母と分子が逆になったりはもっと頻繁に。

→現在の生活では、算数は答案の点数計算でしか使わないので、よく使うものはだいたい暗記してあります(50点/40点/30点満点からいろんな点数を減点すると何点になるか)。
あと、「このくらい答案が赤ければ何点台になるはず」という感覚があり、それを使って10の位の計算ミスを防いでいます。


3)翻訳業ではけっこう数字がよく出てきますし、数字の訳を間違えると重大なミスにつながります。
そこで、どんなに簡単な数字でも、極力自分では入力せず、コピペしています。

あと、数をイメージすると間違いが減ります。例えば、「石炭輸入量が37万トンから20万トンに減った」とあれば、石炭の山が6割くらいに減ったところをイメージします。



こうしてみると、数字を映像化して理解しようとしていること、多感覚方式で数字のミスを防ごうとしていることが分かります。。

数字の映像化と言えば、小学校4~5年の頃だったと思いますが、「1時間に3mmの雨」というのがどう説明してもらっても理解出来ず、親を激怒させたことがありました。雨は粒で降ってくるのにどうやってmmで測るの?と。
結局、雪が積もったときに理解したように記憶しています。


☆  ☆  ☆

ディスレクシア的には、タイプ3「時間とシークエンスの感覚」が興味深いです。
うちの子は、物事を順序立てて述べるのが、非常に苦手です。
まさに「一連の出来事から重要なことがらを抜かしてしまう」のです。
(なお、子は時計は読めますし、時間感覚も普通にあります)


言葉というものはさまざまなレベルでシークエンス(要素を順序立てて並べたもの)であり、
シークエンスを理解するには、時間感覚が必要だ、ということですね。

たしかに・・・
言葉の「音」をシークエンスとして理解できなければ、受信するにも発信するにも、一部の音が抜けたり入れ替わったりする可能性があるでしょう。

「文字」もシークエンスです。
文字は一定の順序で並んで、はじめて意味を成します。
アルファベットの筆記体に至っては、一本の線が丸くなったり尖ったりして文字列を作っているという言い方もできます。

さらに専門的になりますが、英語はSVOという「統語」の順番が非常に重要で、これがぐちゃぐちゃになると意味を成さなくなります。
(日本語はこのあたりの規則がゆるいのも、もしかしたら英語より日本語でディスレクシアが出づらい理由かもしれません?!)

そして、「文と文」をどう組み立てるか、順序立てて物事を伝えられるかも、シークエンスです。

情報(オト、文字、語、文)を線の上に並べて、先にあるものから順に理解するという感覚が必要なわけですが、そのためには時間感覚を養う必要があるのかもしれません。



この「時間とシークエンスの感覚」が非常に弱いと、算数障害とディスレクシアの両方が出ることは容易に想像できます。

(♯ただ、シークエンスで物事を述べるのが苦手ということは、「いきなり話の核心を突く」ということでもあるんですよね・・・
これもまた、ディスレクシアの大きな特徴のひとつです。
これについてはまた今度。)


2014-06-18

ジョリーフォニックスその6:中1ショックはきっと克服できる

ジョリーフォニックスの進捗をなかなか報告できずにいました。
6年生になってからは、漢字・読み練習・算数・社会に時間を取られ、英語まで手が回らなかったのです。。。

6月に入り、2ヶ月近くのブランクを経て、ようやく再開できるようになりました。

最近は、字を書くことに取り組んでいます。
1回の勉強の流れはこんな感じです:

1)ジョリーの基本42字をランダムに読んでもらう(3分)

二重母音があやしいですが、それ以外は読めます。
小3(まだディスレクシアと知らなかった頃)にローマ字がまったく覚えられなかったことを思えば、定着率はずいぶん上がりました。ジョリーを使うと「文字-音」対応の定着率はとても高いです。


2)文字を書く練習(15分)

ジョリーフォニックス専用のワークブックを使います。

Jolly Phonics Extra(ジョリーフォニックス一式セット)に入っています。

Jolly Phonics Extra
これを書いている時点では、アマゾンでとんでもない値段がついていますが、
本来は確か3万円弱でした。


a penではなく、pと書くつもりがqになりかけてやめたのです。
単独の字は、意外と書けます。
「今からこの絵を言うから、/n/の音が入っていないのを選んでね」も、できます。
そういう意味では、いわゆる「セグメンティング」(単語を聞いて、そこに含まれる音を分解する能力)は、ジョリーに取り組むなかで、少しずつできるようになってきているようです。

「じゃあ、これから言葉を言うから、書いてみてね」に対しては・・・
nestをこちらで/n//e//s//t/と分解すると、ようやく書けます。
書けても、ものすごくつらそうで、1語書くたびにぐにゃぐにゃしています。
それでも、今日は5単語書いてくれました。

ちなみに「意味」ですが、上の絵を見て自分で英語が言えます。
つまり、「オト」よりも「意味」よりも、「字」は後回しなのです。



一応、字の高さも教えてあるのですが、思い出しながら書くとこんな感じに。

3)文章を聞く・読む(15分)

最後に、文章を少し読みます。
一式のセットに含まれている本を使います。

We areのような規則的でない読み方の単語は、
ちょっと間があくと、もう読めなくなってしまいます。
まず私が読んで聞かせ、意味を言います。
(読み上げには、トーキングペンを使うこともできます。)
それから、子供に声に出して読んでもらいます。
私が読んだ内容を覚えていることは決してなく、ゆっくり、ゆ~っくり、解読していきます。
発音は、けっこう細かく直します。

以上で1回分です。


☆  ☆  ☆



去年(5年生)の8月末にジョリーフォニックスで英語の勉強を始めてから、10ヶ月が経過しました。
途中、通算3ヶ月ほどブランクがあったので、実質的には7ヶ月ほどです。

直観的な印象ですが、非ディスレクシアの子と比べ、4~5倍は時間がかかっている気がします。
単独の文字はまだしも、二重母音、単語となるにつれ、定着が大変になってきました。
漢字よりも、カタカナよりも、定着がはるかに悪いです。

最近、中1のディスレクシアの子をお持ちの方から、続けてご連絡を頂いています。初めての英語の定期試験の結果にショックを受けたこと、想像にあまりあります。
うちも来年どうなることかと、覚悟しています。

ディスレクシアは日本語よりも英語にはるかに出やすいため、「中1ショック」(中1で英語が始まり、はじめてディスレクシアだと発覚)とも呼べる状況がある・・・というのは、LD学会などに行けば大いに問題になっているのですが、現場ではまだまだ知られていないようです。
何しろ、私の知る限り、中学の英語教員は(塾講師も)、フォニックスを知らない場合のほうが多いくらいなのですから。
フォニックスを知らないということは、英語の一つひとつの文字をどう発音するかを教えていない、教える必要性を認識していないわけで、そのような教員がディスレクシアについて知っているはずがありません。


ジョリーフォニックスを実質7ヶ月続けて思うのは、

・ディスレクシアの場合、非ディスレクシアの数倍の時間をかけないと定着しない。
 逆に言えば、数倍の時間をかければ定着するので、腹をくくって反復練習あるのみ。
・定着には、ジョリーフォニックスは今のところ非常に効果的です。中1なら、今からジョリーに取り組むのは全然遅くないです(場合によっては中2・中3や高校生でも)
ディスレクシアにとって一番つらいのは、単語を聞いて書き取る(=ディクテーション)こと。なのでこれは最後に。
・単語を聞いて意味を言う(文字を介さない)のが、ディスレクシアにとっては一番簡単。
・オトの全体像(単語なりフレーズなりの全体の感じ、リズム)をまず真似て、それから細部を詰めるようなアプローチをする。
これは「音韻認識」の苦手ゆえなので、あまりこの方法に頼るのはよくないのでしょうが、リズムを取りながら全体→細部の順を意識すると、比較的覚えやすいようです。

中1ショックは、今から始めて夏休みを費やせば、かなり克服できると信じます!

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過去記事
ジョリーフォニックスを試してみる・その1
ジョリーフォニックスその2・「音→動作→文字」の回路をつくる
口で言えればアルファベットも書ける?!
ジョリーフォニックスその4・例外を使って規則を定着させる
ジョリーフォニックスその5:非ディスレクシアとの習得の違いを目の当たりにする

ディスレクシアの読み訓練「読ませるのでなく、一緒に楽しむ」

私は幸運なことに、子がディスレクシアと分かってから非常に早い段階で、

ディスレクシアの子にも読みの訓練はできるし、すべきである

と強く忠告してくれる人がいたので、一つひとつの字を読む練習をさせる一方、文章の読み訓練についても、試行錯誤することができました。

この試行錯誤というのは文字通りでした。試す→子供も頑張る→でも続かない→しばらくして別の方法を試す、の繰り返しです。

そして最近ようやく、
こういう方向性なら、ディスレクシア児への読み訓練は効果的かも
ということが、なんとなく見えてきました。
今日はそれを書いてみます。

☆  ☆  ☆

一番衝撃的だったアドバイスはこれです。本当に本当にありがとうございます:
読ませる、のではなく、一緒に本を楽しむのです。読んでやり、読んでもらう。相手の音読がどんなに上手でなくても、ああ、読んでもらって楽しかった、ありがとう、という姿勢を見せます。読み聞かせが好きな子は自分が読んでもらう喜びを知っているので、自分も相手に同じ喜びを与えたことを喜びます。読み間違いの訂正はすべきですが、さりげなく。読んだ後に本の内容の話などをします。

一緒に楽しむ!!
音読なんて絶対無理・・・と思っていましたが、この一言で目が覚めました。
私にとっての読み訓練は、この「一緒に楽しんでいる姿勢を見せること」がすべての基本になっています。


<ディスレクシアの子の読み訓練のポイント>

※なお、以下では「親」と書いていますが、これはうちが一人っ子の核家族だからで、「親」の部分は読めるお兄さんお姉さんでも、他の保護者でもかまいません。

(1)毎日10分、親が音読につきあう。
ディスレクシア教育では「毎日短時間でもコツコツと」が、特に大事です。
また、音読は放置せず、親が聞き手になる必要があります。


(2)親子とも興味の持てるものを読む。
子供が興味を持って読める(=あまり幼稚すぎない)ことはもちろんですが、長く続けるには親も興味を持って聞けるものがよいようです。親が興味を持てるジャンルでないと、素材探しが負担になってきます。
上の忠告を下さった方は、長編ファンタジー小説を音読素材に使っていたそうでしたが、実は私がどうもフィクションには興味が・・・。
ということもあり、子供も親も関心が持てる素材を探し続けた結果、うちでは小学生新聞を毎日音読しています。
小学生新聞は、いろんな点でディスレクシアの読み練習にお勧めです→こちら


(3)読んだ後、内容について話し合う(話してもらう)
小学生新聞の場合、読後は「何の話だった?」から始まり(これがなかなかうまく言えないのがディスレクシアです)、簡単に要約してもらったり、内容に関する質問を出し合ったりします。
うまく行けば、内容についての意見を言ってもらい、そこから議論します。


(4)読み方は、一人で全部、あるいは交代で
理想は一人で最後まで音読することですが、疲れていたり、難しそうと本人が感じていそうな時は、1段落ずつ/1文ずつ/地の文とカギカッコ内で、交代で読みます。

できればルビのない素材が望ましいようですが、うちは現在、小学生新聞を使ってるので、基本的に総ルビです。


(5)読み間違いの訂正はさりげなく
音読カードさながら厳格に正しく読むことを追求しすぎると続きませんが、間違いはさりげなく訂正します(それでいて「読んでくれて楽しかった」という姿勢も見せないといけないので、このあたりに演技が必要になります)

(6)読ませるのでなく、一緒に本を楽しむ
ディスレクシアの読み訓練において何より重要な点です。


最近私は、「ディスレクシアの子が読めるようになるまでつきあうのは、赤ちゃんの頃に話しかけたり、身の回りの世話をしたりしたのと同じ種類のこと」という認識に至っています。
親なら当然する世話の範疇として、怒らずに何度でも直し、将来の自立した姿を思い浮かべながら、教え方の微調整を続け、今しかない時期として楽しくつきあう。できたらうんとほめる。
長い長い道のりですが、そういうスタンスが、非常に大事だと思います。

2014-06-10

「読めば読むほど脳は変わる。たとえディスレクシアでも」

久々に衝撃的な記事を見つけたので、訳しました。
筆者のAnnie Murphy Paulさんはコラムニストで、ディスレクシアの子がいるようです。
当ブログの一番最初の記事が、この方の別の記事「ディスレクシアのプラス面」でした。


読む経験はディスレクシア児の脳を変える可能性がある
ニューヨークタイムズ紙、2014年5月15日
原文は→こちら

<まとめ>
・ヒトの脳には、読む能力は生来的には備わっていない。
・ディスレクシアでも普通の人でも、読めるようになるには、訓練によって脳を変える必要がある。
・つまり、ディスレクシアでも読む訓練を個別的かつ集中的に行うことで、脳を変えることができる。
・「ディスレクシア脳は遺伝なので、読み困難は一生克服できない」という考え方は見直す必要がある。

ディスレクシア児(とその親や教師)が直面する数多くの課題のひとつに、「この読みの困難は完全に固定化されたものだ」という執拗な不安がある。読み困難は遺伝子によってあらかじめ決定されており、変えられないという考え方だ。だが最近の研究はこの不安を和らげている。ディスレクシアには経験が大きな役割を果たす、それは読み問題を強める方向にも、そしておそらくは弱める方向にも働く。そう示唆しているのだ。

ディスレクシアはアメリカの人口の10%以上にものぼる、最も一般的な学習障害だ。だがその原因は解明されておらず、ディスレクシアの読みの困難につながる生物学的メカニズムについては、数多くの科学者が理論を提示してきた。そして最近の研究では、ディスレクシアがどこで始まり、どのように発達するかの理解に迫っている。それはまた、“読む“という行為そのものの性質にも光を当てている。

一例をあげよう。ディスレクシアの原因仮説として長く信じられてきたものに「ディスレクシアは視覚系統の欠陥に由来する」というものがある。視覚の問題によって、dbを混同したり、単語が入れ替わったするといったディスレクシア特有の問題が説明できるかもしれない。確かに、脳スキャンでは通常の人と比べてディスレクシアの人の脳は、視覚野の活動が少ないことが示されている。

だが最近、この説に正面から異論を唱えるのが、ジョージタウン大学病院学習研究センターのGuinevere Edenディレクター率いる研究だ。それによると、ディスレクシアは見え方の問題ではなく、言語の処理の問題であり、個々の音を単語へと組み立てる部分の問題だと言う。ディスレクシアの信頼や治療にあたっては視覚システムに注目すべきではないと同氏は主張する。

ならば、ディスレクシアに一貫して見られる視覚的欠陥は何なのだろうか?同氏のこれに対する説明は、実に腑に落ちるものだ。それはディスレクシアの仕組みのみならず、一般の人の読みの仕組みの解明にもつながるものである。

Eden氏と同じジョージタウン大学のOlumide Olulade氏によると、読みの技術は「文化的に強制された」ものだ。つまり人類は、話し言葉の運用能力は自然に習得するよう進化を遂げたが、読みに関しては同様の進化を遂げていない。読めるようになった人は一人残らず全員が、現在画面上で目にしている黒い線の羅列を意味のある記号に転換できるよう、脳を大きく変えることを余儀なくされた。読めば読むほど、脳は変わる。

だが、ディスレクシア児では、この脳の初期段階が、他の子供と同じようには進まないのだ

ベルギーのルーベン・カトリック大学のBart Boets氏率いる最近の研究によると、ディスレクシアの脳は言葉の音の神経学的表象については正確(ここから、ディスレクシアも言語音の理解には何の問題もないことが説明できるかもしれない)。だがディスレクシアだと、音を単語にするときに、脳の聴覚野と言語野の伝達がうまくいかないようだ。同氏はディスレクシアを「接続不良症候群」と呼ぶ。

この接続不良により、ディスレクシアだと初めて読もうとする時から苦労を強いられる。読むのが大変なので、読むのを避けるようになる。そして読むのを避けたため、脳の変化が少なくなる。最新の考え方によると、視覚的欠陥はディスレクシアの原因ではなく、読む量、読む経験が少なかった結果だと言う。だからこそ、正しい種類の経験----正しい音と文字に関する集中的な個別指導----によって、視覚的欠陥を取り除き、子供の読みの力を大幅に向上させることができる。Eden氏の研究はそう示している。

この研究が示す重要なポイントは、かつて研究者が信じていたほど、通常の脳とディスレクシアの脳は、生来的に異なるわけではないということだ。かつて遺伝に由来するとされてきた違いも、経験の産物かもしれないのだ。

例えば、研究者はかねてから、ディスレクシアの脳は通常の読み能力を持つ人の脳と比べて灰白質が小さいと信じ、この違いは遺伝に由来すると説明することが多かった。
だがEden氏の研究によれば、灰白質の大きさの違いは、視覚的欠陥同様、読み経験が相対的に少ないことによって引き起こされている。正しい経験(集中的な個別指導と、読書時間を増やすこと)が導入されれば、ディスレクシア脳の灰白質も一般の脳に近づく。

ここから、ディスレクシア児を指導する親や教師は、何を学ぶべきだろうか?

1. 正書法(字の正しい書き方)と音声学(文字に対応する音)の集中的な個別指導は大きく役立つだろう。
2. ディスレクシア児には読書するよう、常に後押しし続けるべきである。たとえ読むことは大変な苦労であっても。
3. ディスレクシアが抱える読み困難は、かつて恐れられていたほど強固に固定されたものではない。経験は、プラスにもマイナスにも大きな差となる。

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「ディスレクシアでも読めるのか?」
「すらすら読めるなら、もはやディスレクシアではないのか?」
「読む訓練が効果的なら、何を読めばいいのか?」
あたりは、当ブログの陰で議論が続けられてきた、最大のテーマです・・・!
いよいよこのテーマについて書く機が熟してきたような気がします。
この話題については続きます・・・

2014-06-06

北海道新聞14/06/02「ディスレクシア知って」



お越し下さる方から頂きました。ありがとうございます!

北大教育学研究院附属子ども発達臨床研究センターの室橋春光先生は、LD学会でもたくさん発表をしておられます。


漢字学習で特に成果を上げるのは、「意味→音→漢字」と三つのステップで覚える方式。「木」ならば、まずは「木」の意味を「植物の一つで葉っぱが生い茂る」などと説明した後、「き」という読み方を教える。次に初めて「木」の漢字を教えてもらう。絵を交えて紹介し、理解を助ける場合もある。

最近、偶然にも、コメントを通じて
「漢字の意味を教えること」の重要性を教えられることが続いています。
わたくし、うかつにも漢字の意味はこれまで教えていませんでした。。
なんとなく、訓読みを教えれば分かる気がしていました。
次なる課題になりそうです。