ディスレクシア専用英語塾「もじこ塾」のブログです。 ●ディスレクシアとは:知能は普通だが、読み書きが苦手(読み間違いが多い、読むのが遅い、書き間違いが多い、読むと疲れやすい)という脳の特性 ●全体像の把握、物事の関係性・ストーリーの把握、空間把握、ifを考えるシミュレーション能力に長ける ●読み書きの困難は、日本語より英語に出やすい ●適切に対処すれば、読みの問題は表面上は克服される ●10人に1人程度いるというのが通説 ●家族性とされるが、ディスレクシアの表れ方は個人差が大きい もじこ塾は、ディスレクシアはこれからの社会に不可欠な才能、でも日々の学習では普通と違うアプローチが必要、という立場です。

2014-11-27

ディスレクシアはデジャビュが多い?!

これは、1ヶ月くらい前に熱心に考えて書いたのですが、
その後「やっぱり荒唐無稽かも」と思ってお蔵入りにしていました。

でも、LD学会の折にさる方から、
ディスレクシア家系と非常にリアルな予知夢についての話を伺い、
やっぱりディスレクシアと夢には深い関係があるかも。。
と思って、公開します。

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今回はちょっと荒唐無稽かもしれません。
自分としては、けっこういい線いってるんじゃないか(笑)と思ってるんですが・・・

ディスレクシアには、デジャビュが多い。
これは、ディスレクシアの人が、線形的な時間感覚が弱く、
かつ、線形的でない時間を認知できることの表れではないのか?
という仮説です。

もし、「我が家のディスレクシアな子・配偶者・本人もそうです」
というエピソードがあれば、ぜひお知らせ下さい!



きっかけは、コスモ君(浪人生)が、こちらが何か言った拍子に
「あ、デジャビュだ」と言ったことでした。

そこで言うデジャビュって何?と聞いたところ、

「『この人は次にこう言うだろうな』と思うと、本当にそう言ったり、
この状況は見たことがあるぞと思ったり・・」

「僕は予知夢を見ます。
それを予知夢とは言わないかもしれない。そのときは覚えていないので(?!)
でも後になって、そうと分かる。」

どうやら、夢で将来の出来事を見るものの
夢から覚めたとき(?)は何も覚えておらず、
夢と同じことが起きた時に夢を思い出す、ということのようです。

「合格する夢はまだ一度も見てないんですよ」(泣)と言うので
むしろ、彼が予知夢に絶対的な信頼を置いていることに
びっくりしてしまいました。



この話を私が荒唐無稽とは思えなかったのは、
うちの子も、小4くらいから「デジャビュ」という言葉を使っているからです。
「デジャビュ」は小学生の語彙ではないと思って覚えていました。

うちの子の場合も、
何気ない状況で「でじゃぶ来たー」と言ったり、
初めての曲を聴いて「これ知ってる」と体を揺らして歌ったりします。
てっきり、音楽的な勘がよいのかと思ってましたが、
そういうことではないのかも・・・


家庭教師君にも、「デジャビュって見る?」と聞いてみたところ、
「ちょくちょくあります」と即答されました(!)

「ついこの間も、部活の練習後にみんなで話していたときに、
『あ、この状況はデジャビュだ』というのがありました」

デジャビュってどういうもの?と聞くと、

「話の内容から論理的に考えて、初めてのはずですが、
『この状況は初めてではない』と思うんです」

「たぶん夢で見てるんだと思います。
夢って全部覚えていないので、きっとモデル化して覚えてて、
それに当てはまったときに、デジャビュと感じるのかもしれません」

と、やはり夢にからめつつ、経済学部らしい(笑)解釈を披露してくれました。


☆  ☆  ☆


私は、ディスレクシアの見るデジャビュは夢というより、
ディスレクシアは本来、線形的な時間に生きていないことの表れでは、
と考えてみました。



凡人は、時間は刻々と、秒・分・時・日・週・年・世紀・・・
が順に流れていき、過ぎた時間は戻らないと認識しています。
これを「線形的な時間認識」と言います。

でも実は、線形的でない時間というものが存在して、
(私はこの件については凡人なので、想像するだけですが、
順序通りに流れない時間、あるいは過去や未来がない時間なのかも)
凡人には知覚できないけれども、
ディスレクシアだと、それを意識化したり、記憶したりできるのかも?



「ディスレクシアの人は、線形的な時間に本来は生きていない」と考えると
ディスレクシアが線形的な時間認識が苦手なことの説明がつく気がします。

例えば、ディスレクシアだと
時計がなかなか読めない
時間の感覚がつかめない
(英語ネイティブにおいては) 時制が苦手
なことがあると言われます。

(家庭教師君に話してみたら「いや僕は普通に約束の時間は守りますし、
予定の急な変更とかは嫌いですよ」と言われましたが・・・)

(時制と言えば、うちの子は、日本語の「時」の表現が欠落してて、
楽しそうに話していても、前後関係が意味不明すぎることがあります
なんでも「前にね…」と言うので
「"前"じゃ意味わかんないから"先週"とか"昨日"とか言ってよ!」
と言いましたが、あまり分かりやすくなっていませんorz。)


話を戻しまして、小さな聞き間違いや言い間違いが多い
(「とうもろこし」を「とうもころし」と言ったり)のも、
線形的時間認識と関わっている気がします。

音響音声学の授業を受講して気付いたことのひとつが、
音声言語の分析から時間(t)の概念を取り去ることは不可能
ということでした。
話し言葉の理解は、線形的な時間認識と密接に関わっているようです。


☆  ☆  ☆

ここまで書いたところで、dyslexia deja vuで検索してみると、
ディスプラクシアの特徴の一つに「デジャビュが多い」を挙げている
オーストラリアのチェックリストがありました→こちら

また、dyslexiaとsense of timeで検索すると、
ディスレクシアの人たちが議論している掲示板→に、面白い発言を見つけました。
ディスレクシア感覚がよく分かる文章だと思うので、訳してみました。

時間=「箱」が積み上がったものとして映像化できて初めて、
秒から歴史全体に至るまでの、時間の流れが理解出来た、
と言っています:


---

私は小さい頃、アナログ時計が読めなかった。針が動く方向に混乱した。
8時10分前と8時10分の違いが分からなかった。
私はディスレクシアとして方向感覚の問題も抱えているので、時計の読み方を学ぶのは何より大変だった。
デジタル時計(12時間のもの)を使うようになってようやく、時間の長さについて理解したり、時間を管理したりできるようになった。それから24時間時計やアナログ時計も分かるようになった。
今ではどんな時計も使えるが、プレッシャーが強くかかったり、別のことを深く考えていたり、ぼうっとしたりしていると、時計を読み間違える。

なぜ時間の感覚がつかめなかったか。それはアナログ時計を使っていたからだ。
1分のなかに秒があり、1時間のなかに分があることを理解したとき、時間のことがようやく理解出来た。その上で、時間を3Dのイメージとして映像化するようになった
時間は箱で、箱の中を埋めて1日というタワーを作る。このタワーをいくつか積み上げると、1週間というより大きな建物になる。それは1ヶ月の一部で・・・という具合だ。
それぞれの箱に入る量は決まっている。新しい箱を埋めながら、すでにいくつの箱が埋まっているかも、頭の片隅で追っておく。
時計や、紀元前やら紀元後やらも全部、そうしたことの積み重ねだと分かった。
蓄積した時間を追跡し、そうして建てられた構造物のことを、人は歴史と呼ぶのだと。

時間が空間のように感じられると、その中には一定量しか詰められないことも分かった。
時間をビジュアル化できるようになる前は、時間の概念がよく分からなかった。
どれだけ興味のあることをしているか、どれだけ忙しいかによって、時間の流れる速さは異なるように感じていた。

また、時間は時計のように循環するものとも説明されていたが、それだと、1時間の中に1分があるということと合わない。だから時間が循環するイメージは間違いだった
時間が見えるようになるまで、時間は人工的なものだと感じていた。あるとき、自分が時間の「」にいること、上へ上へと積み上がっていく動きの一部に自分もいること、時間は単に循環しているわけではないことを理解した。
そしてようやく、時間は人工的なものだと感じられなくなった。自分の後ろには一定の時間があり、いまこの瞬間も時間はどんどん蓄積していき、それが大きな物体や構造物になり、これまでの時間に加わっていく。
そうして、時計やカレンダー、そして歴史も、それらが互いにどういう関係にあるのか見えるようになったので、全体として理解できるようになった。

---


上に積み上がるものとして時間を認識できるようになったのと引き換えに、
この人(や凡人)は、何かを失ったのかも・・・。

☆  ☆  ☆

ついでに、検索していて、
デジャビュ(deja vu、フランス語で「すでに見た」→「既視感」)の反対語に
ジャメビュ(jamais vu、「見たことがない」→「未視感」)
という心理学用語があることも知りました。

ジャメビュ!それはまさに、ディスレクシアにとってのアルファベット(苦笑)

ディスレクシアにとっての文字の覚えづらさは、
凡人が、「ほら!なんで未来が見えないの?
さっき見えてたのにもう忘れたの?
何度も見せてあげたじゃない、なんで覚えられないの?」
と言われても、すご~く困るようなものなのかも(苦笑)

4 件のコメント:

  1. もじこさん、こんにちは。
    オカルティストと思われるのが嫌で、これまで夢のことはごく身近な人にしかしていませんでしたが、発達凸凹の血が関係しているかもしれないのなら、ここに書いてみようと思います。みなさん長文お許し下さい。

    わたしの父は鉱山業を営んでいますが、業績不振により廃業を決め、数年前から会社整理に取り組んでいます。娘のわたしは実務のしんがりを務めています。資産整理が思うように進まないなか、昨年父は経営者人生最大の危機に直面したのですが、神風が吹いたような感じで奇跡的に乗り越えました。同居こそしていないものの、わたしも資金繰りのためにかなりの額を父に貸していたので、長らく生きた心地もしませんでしたが、なんとかなりました。
     
     この危機を暗示する夢を、わたしは15年前(まだ独身で実家にいました)に見たのです。あまりに強烈で、ずっと忘れられずにいました。雪の降りしきる真夜中、実家の前で幽霊となってたたずむ父がわたしに「自分は昔からいつも貧乏だったのだから、気にしなくていい」と言うのです。悲しがって泣くわたしを、父は抱き上げて運転席の自分の膝の上に乗せ、そのまま雪の中に車を走らせはじめました。どこへ連れて行かれるのかわからず、頭のなかがパニックになり……そこで目が醒めました。不思議だったのは、そんな不穏な夢なのに天から舞い降りる雪がキラキラと金色に輝いていて、恩寵のようなものが感じられたことでした。この夢を見た当時、会社の状況は悪くなく、その一方で、家庭内で不幸事があって父娘関係は最悪でした。なんでそんな夢を見たのかさっぱりわかりませんでした。

    15年後の昨年、「あの夢はこれのことだったか」と気付きました。夢の中で父の車に乗せられた以上、結果はどうなるにせよ一緒に行くしかないのだと観念したのを覚えています。きらめきながら舞い落ちていた金色の雪が、ひとすじの希望のように思えたのでした。あの雪のお陰で助かったのだと思います。

    ディスレクシアの息子は幼いころ、「ぼくは夢のはじまりがいつも同じやねん。白い部屋で目が醒めて、起き上がってドアから出て行くところからはじまるねん」と言い、絶句させられたことがあります。

    ディスレクシアと夢、やっぱり何かあるのでしょうか?! 

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    1. てぷさん、美しい告白をありがとうございます。
      このエピソードもそうですが、てぷさんとの大阪でお話した数時間自体を思い出してもなんだか時空がゆがんています。。

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  2. 時間の歪み。よくあります。
    昔から私が(と若年の私が言うと変ですが)よく言うのは、『その一瞬一瞬を(獣のように)生き尽せば、後悔することは決してない』ということ。だから時間に流れがあろうとなかろうと関係ないのです。
    最近の論文の『時間は輪廻する』という説も、おなじみアインシュタイン氏の『相対性理論』こと時間の進み方の相違も、初めて読んだ時に腑に落ちました。
    時は平等に流れてないと思います。他の生命体はもちろん、たとえ同種の人間であっても。

    ですから、たとえ日付を年単位で間違えても、私の思う『本質』的には問題ないと思うのです。

    ちなみに私は30分単位で動かないとそわそわします。スケジューリングは常に相方に丸投げです。笑



    デジャヴ、予知夢について。
    よくありますし、暗示のような夢、繰り返し見る意味不明なものも見ます。
    覚えていたらそのつど、内容を夢占いで検索しますよ(笑)
    デジャヴの最中に未来を変えようとしても変わらなかった経験は今でも忘れられません。
    最近はあまり見ないですが、最後に見た予知夢は予知夢の中で『これ夢で見た』発言してました。あれがだめだったのかな、なんて。

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    1. デジャビュやアーレンも当てはまりましたか。やっぱり(笑)。デジャビュとディスレクシアを結びつけて論じているのは日本では当ブログくらいと思ってるんですが、あの記事を出して以来、「デジャビュあります」と告白してくるディスレクシアの方の多さにこちらが驚いてます。

      壱さんは線形的でない時間感覚を、動物的感覚としてとらえているのですね。面白いです・・・!

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